建築士会全国大会 おおさか大会&研修旅行レポート
第67回建築士会全国大会おおさか大会に参加してきました。 2025年9月19日(金)大阪中之島グランキューブ大阪で開催されました。
大会の様子とその後の研修旅行の詳細については、猪股さん作成レポートをご覧ください。
- 期間:2025年9月19日(金)~21日(日)
- 参加者:佐藤、武藤、石坂、谷中、猪股 計5名
- 訪問先(9/19):グランキューブ大阪(建築士会全国大会)
- 訪問先(9/20):アサヒグループ大山崎山荘美術館(京都府大山崎町)、ラ コリーナ近江八幡・重要伝統的建造物群保存地区(滋賀県近江八幡市)、豊郷小学校旧校舎群(滋賀県豊郷町)
- 訪問先(9/21):国友鉄砲ミュージアム・長浜黒壁スクエア(滋賀県長浜市)、彦根城(滋賀県彦根市)

【グランキューブ大阪】
今年の建築士会全国大会は大阪・関西万博の開催に合わせ、大阪で開催され、柏・我孫子支部から佐藤支部長以下5名が参加した。テーマは、「建築からソーシャルデザインへ」。
そのこころは、建築士の職能を最大限活かし、社会課題に真摯に向き合い、その解決策を提示・実行すること。全国から3,000人を超える建築士が集結し、未来に向けて取り組むべき使命を共有した。記念講演会は、ドイツ人建築家であるクリスチャン・サンダー・チャージッヒ氏が「循環経済と未来建築」をテーマに講演した。
同氏は大阪・関西万博のドイツ館とクエート館のデザインを担当し、その設計ンセプト等を発信。
昼食会場となったイベントホールには協賛企業36社がブースを並べ、参加建築士と情報交換していた。
【アサヒグループ大山崎山荘美術館】
本館は、実業家の加賀正太郎が別荘として、木津・宇治・桂の3川が合流する大山崎の高台に土地を求め、自ら設計した英国風の山荘。(大正元年~昭和初期にかけ建築)イギリスのチューダー・ゴシック様式に特徴的な木骨を見せるハーフティンバー方式をとり入れた鉄筋コンクリート造で、屋根部分には鉄骨が組まれている。
平成に入り取り壊しの危機にあったが、アサヒビールが京都府・大山崎町と協力して復元整備を行った。(スーパードライがヒットして良かった!!)

美術館の所蔵品は、朝日麦酒株式会社の初代社長の山本爲三郎コレクション。バーナド・リーチなどの民芸運動の陶器の他、世界中の美術品が展示されたいた。
本館に並んで、安藤忠雄設計の「地中館」地中の玉手箱、「山手館」夢の箱が併設されており、大正時代の建築物と近代の建築物が同時に楽しめた。
(写真はテラスからの壮大な眺望)


【ラ コリーナ近江八幡】
和菓子・洋菓子の製造・販売会社である「たねやグループ」のフラッグシップ店。(本社)田園地帯の中に立っている不思議な建物には、バームクーヘン工場(見学可能)、土産物店、飲食店などが入っている。
コンセプトは、「自然に学ぶ」で、中庭には田んぼが広がっていた。
建物の設計は建築家の藤森照信氏で、屋根は草で覆われている。というか、屋根一面に草が生い茂っている。散水システムがあるようで、我々が訪問した時間には屋根から水がしたたり落ちていた。
ラ コリーナとは、イタリア語で「丘」を意味しており、イタリアの建築家ミケーレ・デ・ルッキ氏が命名したのだとか。

2階のカフェの内装はアントニオ・ガウディを彷彿させる意匠で、天井には消音効果を期待して、無数の炭が埋め込まれていた。
お土産に購入したバームクーヘンはとても美味でした。
【八幡伝統的建造物群保存地区】
豊臣秀吉の甥である豊臣秀次が天正13年(1585年)八幡山城を築城、同時に琵琶湖に通じる八幡堀を構築した。旧市街地は、八幡山を背景に全体的に質の高い町屋が良く保存されている。
八幡堀には近代に造られた建造物がほとんどないため、時代劇のロケによく利用されている。

八幡堀近くの「白雲館」は明治10年(1877年)八幡商人や地元有志の熱意と強力で建築された旧八幡東学校。その後、役場・銀行等を経て平成6年に復元され、現在は観光案内所として利用されている。


【豊郷小学校旧校舎群】
伊藤忠・丸紅グループの創業者、伊藤忠兵衛は豊郷町出身で、その甥の古川鉄治郞が私財を投じ昭和12年に建設された。設計は近江兄弟社のウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏。当時は「白亜の教育殿堂」、「東洋一の小学校」といわれた。
平成21年(2009年)に大規模改修工事を実施、その後、国の登録有形文化財に登録された。1階は教育委員会・図書館・展示室等があり、今でも活用されている。2階から上は当時のまま保存。

ウサギと亀のオブジェが印象的でした。
【国友鉄砲ミュージアム】
旧北国街道沿いの国友村にある火縄銃専門ののミュージアムで、住民(鉄砲鍛冶の末裔)が経営している全国でも珍しい博物館。日本の中世における鉄砲の歴史、製造工程が学べる。
天文12年(1543年)、種子島に漂着した鉄砲(火縄銃)2丁のうち1丁が、足利将軍の命で古代より鍛冶の技術があった国友村へ運ばれ、翌年には模倣品の量産を開始。姉川の戦いで活躍し、織田信長の天下統一に貢献し、その後徳川幕府お抱えの鉄砲鍛冶集団になった、とのこと。
ミュージアムは国友村の中心部にあり、付近には鉄砲鍛冶の末裔と思われる家が並んでいた。


【長浜黒壁スクエア】
長浜は旧北国街道沿いにある城下町で、古い街並の総称「黒壁スクエア」は平成元年(1989年)オープン。ガラスショップや工房、
ギャラリー、体験教室、レストランやカフェなどのお店が点在。その中心的存在は黒壁スクエアの名前の基となった「黒壁ガラス館」(平成8年、有形文化財に指定)
明治33年に国立第百三十銀行長浜支店として建てられ、その外観から「黒壁銀行」の愛称で親しまれていた。その後、カトリック教会として使用されていたが、教会移転に伴い取り壊しが決定。しかし、市民の中で保存運動が始まり、第三セクター方式で運営されることとなった、とのこと。現在はガラス工芸品を販売。

黒壁スクエアから北国街道を南下すると、うだつを上げた街並みが続いており、その一角にある「開智学校」明治7年(1874)に町民の寄付によって建てられた木造校舎。三階建ての上に八角形の櫓をのせたユニークなデザイン。昭和12(1937)年には現在地に移転され、現在は会議室や喫茶店(夜はビアホール)として利用されている。
付近には、アール・ヌーボー様式ガラス工芸の巨匠ルネ・ラリックの作品を所蔵している「成田美術館」があり、パリ万博出展の「泉の精」は必見。
【国宝 彦根城】
彦根城に隣接しているスタジアムで9月28日に行われる国民スポーツ大会の開会式の予行演習のため、駐車場確保に苦労したが、無事に登城できた。(事前調査は重要です)
彦根城は、井伊氏が築城した城で、現存国宝天守5城の一つ。築城に当たっては、大津城、佐和山城をはじめ、近江国の諸城から建材を集めた、とされる。
明治維新後は陸軍省管轄下の施設となったため維持され、明治11年の明治天皇の彦根行幸の際に供奉していた参議大隈重信が天皇に働きかけた結果、天守や櫓の保存が決定した、とのこと。
ひこにゃんにも出会えました。

新幹線チケット、レンタカーの手配、並びに運転していただいた石坂さんに深謝いたします。(文責、猪股)